外国 中国 メディア 写真 フィルム 新聞 撮影" />
SSブログ

南京大虐殺についての中国人専門家の回答がウソだらけ [社会]

南京大虐殺の写真は本物?それとも捏造?中国人専門家が回答―中国メディア

2015年11月9日、澎湃新聞網は記事「南京大虐殺の歴史写真はどこから来たのか?」を掲載した。
南京大虐殺研究センターの張連紅(ジャン・リエンホン)主任は澎湃新聞網のネット交流会に参加し、読者の質問に答えた。

Q:なぜ日本軍が迫っているのにあれほど多くの市民が南京にいたのでしょうか?誰も日本人の襲来に気がつかなかったのでしょうか?

1937年11月20日に国民党政府が移転し、政府職員も撤退しました。
旧日本軍は急ピッチで進撃を続け、その残虐さを伝え聞いた近隣の人々は続々と南京に集まっていました。
南京には戦争の空気が漂っていましたが、外国人が設立した難民居住区が唯一の希望となっていたのです。欧米人が管理する地域は安全だろうと人々は信じていました。

また、旧日本軍が平民を傷つけることはないとの幻想を抱いていたのかもしれません。
しかし入城後の焼き討ち、殺害、強姦、略奪は人々の幻想を打ち砕きました。
市民も自宅を離れ安全区に逃げ込んだのです。
安全区の面積は全市街地の8分の1という狭いものでしたが、そこに20万人以上が収用されました。

Q:南京大虐殺の歴史写真は本物なのでしょうか?

南京大虐殺の写真は主に2種類の出所があります。
第一に南京にいた欧米人が撮影したもの。
米国人宣教師ジョン・マギーが撮影した写真やフィルムが代表格です。
第二に旧日本軍の兵士や従軍記者が撮影した写真です。
そのほとんどは公開されることはありませんでしたが、一部は中国人が経営する写真館で現像され、暴行の証明として持ち出されました。
後に南京軍事法廷で証拠として採用されています。


ーーー以下、ネットの反応ーーー

当時の欧米の従軍記者は
一行も記事にしてないし、
写真の配信も無いんだぜ

写真を提供した本人が偽物だと言ってるけど

この写真の後に焼き討ち、殺害、強姦、略奪が
起こりましたってのは証拠にはならんだろ。
それを言ったら、何でも証拠になるわ。

国民党軍が逃げているのに
南京に集まるとか中国人アホだろ

>その残虐さを伝え聞いた近隣の人々は続々と南京に集まっていました。
そういうことにしないと計算が合わないもんなw

いや、むしろ人口増えてるから
計算全く合ってないですww

で、膨大な数の遺体はどう処理したの?

まず遺骨を出せ。その証言の焼かれた遺骨と言う奴だ。
30万人も殺して一体も出ないように隠蔽なんて
戦争してなくたって無理だぞ。

日本で言うと、
戦争が激化してきたから
こぞって都会に疎開したw



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。